長野県上伊那農業高等学校

校歌・校章

校歌

作詞 福澤 悦三郎 / 作曲 井出 茂太

  1. 日出る山も入る峯も 萬古の雪に輝(かがや)きて気高きかなや駒ケ岳 雄々(おお)しきかもよ駒ケ岳仰げ剛健高潔の 吾が校友の鑑(かがみ)ぞと
  2. 晝は終日(ひねもす)まめやかに 夜は終夜(よもすがら)よどみなく北より來る天龍や 南を駛(はし)る三峰の川汲めや活動質実の 吾が校風の源を
  3. 春桑園の萌ゆるとき 蚕飼いの業もたゆみなく農圃の小田の種蒔きや 麦刈る腕の鍛えにはカリフォルニアの月影も 早苗の露に宿るらん
  4. 夏菜園の培養や 牛に水飼う木下蔭玉なす汗に秣刈(まぐさか)る 冴えの利鎌(とがま)の光にはアマゾン川の流域も 開けて畑となりぬべし
  5. 秋果樹園の楽しさは エデンの園に異ならず垂穂(たりほ)の稻の収穫(とりいれ)も 豐につみて微笑めばジャワ、スマトラの森林も 吾が日の旗を迎うらん
  6. 冬温室の実験(ためし)にも 心づくしのかひあれと學びの道にいそしみて 理想の奥を極めつつ雪アルタイの高台に 櫻咲く日を思うかな
校歌(吹奏楽部第1回定期演奏会 平成22年10月
校歌 オルゴール (昭和33年卒 帯川 伊千広氏作製)
旧上農寮寮歌(吹奏楽部第1回定期演奏会 平成22年10月

校歌制定の由来

1915年(大正4年)に校歌が制定された。
「県下に名だたる上農に校歌がないのは、腹にへそがないのと同じ」と三年生の有志が学校側に校歌制定運動を起こしたのがきっかけであった。
当時の学校長は、生徒の要望を受けて、知人の福澤悦三郎氏に歌詞を、井出茂太氏に作曲を依頼した。
両氏は、時代の風潮を背景に、校歌を欲しい生徒の熱い心情、当時の世相が海外発展ということもあって、カリフォルニアやアマゾン川、ジャワやスマトラと地名が入る雄大な詞をつくった。 

●『上農の歩み』(平成15年2月発刊)より

校章

校章制定の由来

新制高校への移管にともない、新しい校章をつくることになり、昭和23年(1948年)夏に、学校が生徒からデザインを募集した。
複数の候補の中から原高雄(昭和27年卒)のものが選ばれた。

当時のデザインは、「高」を稲の穂が一本ずつ囲む形で、米の増産を強調していた。
昭和27年(1951年)に当時の佐藤昌一校長の意見で、校章は従来の左側に稲穂、右側に粟をあしらった形にし、現在使用しているものとなった。
昭和28年の入学者より使用するようになっている。 

●『百年史』(平成7年2月発刊)より